Hikarie Contemporary Art Eye vol.17 若手作家による木彫表現。再考と可能性。 「3つのフォーメーション‐啄木鳥の鳴き声は聞く事が出来るのか。」
- 開催日
- 2025.2.1.SAT - 2.9.SUN
- 時間
- 11:00 - 20:00 (最終日は18:00まで)
- 場所
- 渋谷ヒカリエ8 階 8/COURT
- 料金
- 入場無料
日本の美術シーンを新しい視点で切り開く「ヒカリエコンテンポラリーアートアイシリーズ」の第17回目を開催します。
今回は日本に脈々と続く木の彫刻について。仏像から、円空、平櫛田中、橋本平八、舟越桂と繋がってきた木彫をやっている若手はいま、何をやっているんだろう?そのことを探るべく三沢厚彦さんに3人のアーティスト、中澤瑞季さん、成島麻世さん、古西穂波さんを選んでもらいました。(監修、小山登美夫)
「若い木彫の作家の展覧会を考えていて、作家を選んで欲しい」と小山登美夫さんからのお話しだった。現代の多様化する彫刻表現において、なかなかのお題である。しかし、「木を素材とする」という限定された表現形態から、今現在から、ますます多様化するであろう、未来に向け、木彫を中心とした作品を発信する展覧会も面白いだろう。若い作家を現在地とし、多様なコンセプトや作家のスタンスを紹介出来れば、我が国の古来から、脈々とつづいている思考性、あるいは、仏像や神像、木造建築などにみられる、木の文化や木を素材とした表現を新しく斬新なものとして発信する有意義な場として機能するのではないか。
素材を超えた思考性やコンセプト、可能性を示唆するような展覧会になれば良いと思っている。
出品作家は古西穂波、中澤瑞季、成島麻世の3名。今回のヒカリエでの展示空間はギャラリースペースというより、オープンなフリースペースに近い性格を持っている。そこは空間性と協働する彫刻表現。作品の魅力と展示の手法できっと有意義な場になると確信している。
古西穂波は木の持つ偶性やモチーフ(主に自己に関する女性像)を可視化する際に、見える量や認識できる範囲をあえて限定する事や、作品化する時間とプロセスの中で現象性やレイヤーを通して見えるであろう歪みやバグを必要な要素と捉え、水中での見え方の歪みやエアーパッキンに包まれた作品の要素も積極的に取り込んでいく。彫刻の設えにおける合理性や素材性も意識的に行っているところも見逃せない。彼女にとって、木を彫り、制作すること、着色すること、単管を組み合わせて支持体をつくる行為は、彫刻作品をつくるという意思の同義性を表している。作品化する領域がつくられた場所と素材に戻す場所とを同居させることは非常に興味深い表現である。
中澤瑞季の作品はある種のトーテム的なニュアンスと身体に関わるイメージを繰り返し現し、それらも構成要素として取り込みながら縦軸や横軸を意識的に構造化する事を効果的に行っている。それは著しく建築的でもあるが同時に彫刻としての垂直、水平という意識も強く感じさせる。カットアップとリミックスを繰り返しながら、それらを分散させる事なく、強固な構造性の中に封じ込めようとしているかのようだ。これらの問題意識がより彫刻的な存在を獲得してると言えるだろう。そして、韻を踏むという手法を彫刻表現に取り込んでいる点も興味深い。これらの要素により、視覚性や思考性を刺激するインパクトのある表現形態を獲得し、現代文学に作用させるロジックも同時に想起させる。彼女はブライオン・ガイシンやバロウズの存在もリスペクトしてるのだろうか。
成島麻世は樟の板材をあえて多用することにより、支持体と彫刻作品としての領域の関係性を、より増幅させようとしてるかのようだ。精緻に彫られ、変形を施した身体を感じさせる場所の最表面には岩絵の具のピグメントを用いて、実際には丁寧にトレースされているにもかかわらず、あえて即興的に見えるような単純化された人型が現され、木という物質性を得た身体性と表面的に描かれた身体性がよい塩梅の差違を生み、ある種の混乱が齎される。もう一方で、一つの支持体としての側面も同時に存在させていることも興味深い。そして、それらをあえて物化するような設えの方法も見どころの一つと言えるだろう。作品化することの要素を、あえて削ぎ落とすことにより、得るものの大きさを感じさせることも視野に入れているのかもしれない。(三沢厚彦)
本展の開催を記念して、会場にてトークイベントを行います。
2025 年2 月1 日(土)16:00―18:00
司会:小山登美夫 出演: 中澤瑞季/成島麻世/古西穂波 ゲスト:三沢厚彦
※お申し込み不要。会場の人数制限によりご入場いただけない場合がありますので、ご了承ください。